逆さ孤立

[あらすじ] 23年前、私は日本で初めてのレズビアンゲイ・パレードの実行委員をやったが、

その時、パレードを歩いてくれたストレート・カップルの友人がいた。

その友人Yに久しぶりに会った。

パレードを歩いたときのことを振り返って話してくれた。

とにかくみんな楽しそうで、イキイキとしてた。

目が合ったらハイタッチしよう!っていう雰囲気があった。

でも、私を見て、隣に男がいるのを見て、あ、違うんだな、って

表情が引いて、去って行く。

あ、須山がいつも感じてるのって、こういうことなんだなって思った。

そう、パレードの日、みんなの表情は明るい。

最近は「Happy pride!」なんて挨拶をする習わしができてきているようだ。

毎日いろいろあるけど、今日は楽しもうぜ、という気分がある。

パレードの場は、当事者が集まって楽しみつつ世間に対してアピールする、

という雰囲気だった。

今日は日本初のゲイパレードだぜ!という場で、

ストレートカップルを見てその人は

なーんだこいつら、と思ったのだろう。

当時はまだアライなんて言葉も無かった。

家族や支援者が参加する、という段階ではなかった。

友人Yは日本初のパレードの中でも、最先端の存在のようになっていた。

今も根っこには変わらぬものがあるとは思う。

会場に集まった人たちの表情はいきいきとしている。

ただ、23年前に較べたら、多様性は増した。

当事者だけの集まりではなくなったことも加わって、

イベント会場への動員数は10万人という規模になっている。

ただ、企業の参加が過ぎるほどに増えてきていて、

コミュニティの活動という色が押しやられてきている。

会場でのブースの配置にそれは如実に反映されている。

このままでいいのか、疑問がわく。

当事者の中の多様性も増えた。

当初のパレードのタイトルを見てもわかる。

パレードを始めた中心がレズビアンとゲイだったから、

レズビアンゲイ・パレードという名称になった。

バイセクシュアルやトランスジェンダーのあれこれ達は、

この名称と雰囲気のせいで、マイノリティの中でさらなるマイノリティとして

疎外感を抱いていた。

現在、規模が大きくなっても、誰かが孤立を感じるようなことは

起き続けている。

とても難しい課題だけれど、取り組まなければプライドじゃないと思う。

今のレインボープライドにストレートカップルがやって来ても、

孤立感で愕然とするほどの事は起きないだろう。

だからってんじゃないけど、一度はおいでよ会場へ。

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