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アメリカ陸軍日系部隊第442歩兵連隊の奮戦と「ダニエル・K・イノウエ」国際空港への改名について

昨日のテレビニュースでハワイのホノルル国際空港が「ダニエル・K・イノウエ」国際空港に改名された事を知りました。

ダニエル・K・イノウエ氏は以前日記でも書きましたアメリカ陸軍の日系部隊、第442歩兵連隊で活躍した英雄でした。

日系部隊は身内を強制収容所に入れられながら、映画プライベートライアンのモチーフになるほどの激烈な戦闘を戦い、多くの戦死・戦傷者を出しながら味方部隊を救出するなど奮戦しましたが、戦後もジャップとさげすまされる事も多くその功績が正当に評価されていませんでした。正当に評価され始めるまで、1960年代に黒人牧師のキング牧師の運動などにより公民権法が施行され、それまでの人種差別政策が是正されるまで待たなければなりませんでした。

 このことは、日本軍が、第2次世界大戦争を人種的偏見から出た人種戦争である、とのプロパガンダを流しているとアメリカは主張しましたが、実際黒人の人々に公民権はなく、死力を尽くし戦った日系アメリカ軍人を正当に評価しなかったことなど、前戦争に少なからず「人種戦争」の面が含まれていた事を物語っています。

だからこそ、「ダニエル・K・イノウエ」氏の名が国際空港につくというのは、アメリカの人種観の意味合いにも、日本の歴史を見直す意味でも大きな意味を持ちます。もっと大きく言えば人類史で大きな意味を持ってくる可能性も有ります。

ただ単に日系人の名前がアメリカの空港についた日本人として誇らしい、などということよりもっと大きな意味を持つのです。

しかし、日本のニュース番組に、第442歩兵連隊の詳しい話は出てきません、下手をすると議員としてだけ紹介し、日系のアメリカ軍人だった事をも紹介しません(昨日の朝のニュースでしていない番組を見ました)。

日本のマスコミの劣化はいつまで続くんでしょうか、嘆かわしい事です。

下記元ニュース

ホノルル空港、イノウエ空港に改名 日系人議員にちなみ

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2017年05月02日 20:38 朝日新聞デジタル

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朝日新聞デジタル

 米ハワイ州のホノルル国際空港が、日系人初の連邦上院議員の故ダニエル・イノウエ氏にちなみ、「ダニエル・K・イノウエ」国際空港に改名された。空港の発展に貢献したイノウエ氏への敬意を示すため、州議会が昨年決議し、4月27日に改名された。

 イノウエ氏は、ハワイ生まれの日系2世。第2次大戦中、米陸軍の日系人部隊に参加し、欧州戦線で右腕を失った。その戦いぶりで当時差別されていた日系人の地位向上に貢献し、米軍人最高の「名誉勲章」を受けた。1959年、日系人として初めて連邦議会議員(下院)に当選。63年からは連続9期、上院議員を務めた。在任期間は約50年間にわたった。2012年に死去した。(ロサンゼルス=平山亜理)

下記は前に第442連隊の事をかいた日記です。

http://SNS.jp/view_diary.pl?id=1810197286&owner_id=6070747

史上最強のアメリカ陸軍部隊 日系442連隊・第100歩兵大隊

旧日本軍は勇猛な軍隊として有名で、アメリカ軍の将軍の中には、日本兵のような兵士を指揮してみたいと言われたという話を昔聞いたことがありますが、実は前大戦のアメリカ陸軍 史上最強部隊は、日系人で構成された第442連隊戦闘団・第100歩兵大隊(最初の日系部隊、歩兵大隊は第1、第2、第3隊から成り100大隊というものは本来なら存在しない。つまり「お前達などいらない」という蔑視が含まれていた、後に第442連隊に合流)でした。

第442連隊戦闘団(だい442れんたいせんとうだん 英: 442nd Regimental Combat Team)は、第二次世界大戦中のアメリカ合衆国陸軍において日系アメリカ人のみで編成された部隊。ただし士官はその限りではない。ヨーロッパ戦線に投入され、枢軸国相手に勇戦敢闘した。その激闘ぶりはのべ死傷率314%(のべ死傷者数9,486人)という数字が雄弁に物語っている。さらにアメリカ合衆国の歴史上、もっとも多くの勲章を受けた部隊としても有名(ウイキペディアより引用)

死傷率314%という率も驚きに値しますが、当時442連隊の家族は、ほとんどの財産を没収された上で全米に散らばる強制収容所に強制収容されていました。戦争初期にはアメリカは日本に敗退続きの上、黄色人種に対する人種差別的感情も背景にあったようで、実際同じく敵国であったドイツ系やイタリア系アメリカ人については、大がかりな強制収容は行われませんでした。こうした評価を覆すため日系人達は懸命に戦い、多数の死傷者を出しながら、アメリカ陸軍の歴史上に驚異的な戦果を残しました。

日系人の最初の部隊である第100歩兵大隊は、ヨーロッパ戦線に投入され、ローマを目指しての進撃が始まり、、ノルマンディー、バルジ、硫黄島と並ぶ激戦「モンテ・カッシーノの戦い」に加わり、ドイツ軍の激しい砲撃を受けました。連合軍の部隊のほとんどが敗走し、再編成を行っている中、最前線に塹壕を掘り、残り続け、連合軍に唯一残された橋頭堡となり、物資が尽きたドイツ軍が後退を開始すると、第100歩兵大隊は先陣に立って追撃を開始し、この攻撃が呼び水となり、連合軍は一気に独軍を攻撃し、モンテ・カッシーノの戦いに勝利する事が出来ました(第100歩兵大隊は負傷率97%、死亡率50%という大損害を出しました。通常60%以上の被害を受けた部隊は「全滅・戦闘続行不可能」とされ部隊の再編成が行われるものです)。

こうして連合軍のローマ進撃に活躍した第100歩兵大隊は、ローマ解放の目前まで来ましたが、軍上層部の意向によって停止命令が出され、後からやってきた白人部隊が1944年7月4日に入城してローマ解放の栄誉を手にしました。結局、部隊はローマに入ることを許されず、ローマを迂回しての北方へ進撃。

その白人部隊が、ローマ解放する前の6月に、第100歩兵大隊は、日系人の働きが評価された為、新たに編成された第442連隊戦闘団に合流・編入されます(今の日本人は軍隊組織に縁遠くなってしまったので、補足すると大隊の3〜4個集まった戦闘単位が連隊です。連隊が3〜4個集まると師団になります)。

1944年8月。442連隊はドイツ軍の防衛線を突破する任務を与えられ初陣を飾り、これまで、どの部隊も攻略できなかった防衛線を、442連隊はたった半日で突き崩し、怒涛の勢いでドイツ軍を駆逐した。余りの戦闘能力の高さに、同行した友軍は唖然となったそうです。

442連隊の名をアメリカ軍に更に知らしめたのは、「失われた大隊」救出作戦です。テキサス大隊(テキサス大隊211名が、 敵中に孤立し「失われた大隊」と呼ばれました)をドイツ軍の包囲より、救出する為、442連隊は大統領から救出作戦に名指しされ、激戦の末救出に成功しました。

作戦終了後しばらく後の閲兵式典で総員整列させた際、上官のダールキスト少将が「全員整列させろと言ったはずだ」と不機嫌に言ったのに対して、「目の前の兵が全員です」と言われたという逸話も伝わっています。総員の約半数を戦闘で失っていたのです。(このくだり映画のプライベートライアンに良く似ています、というよりプライベートライアンはフィクションなので、こちらの実話があの映画のモチーフです)。

またある時は、ドイツ軍との戦闘のすえにミュンヘン近郊のダッハウ強制収容所の解放を行いましたが、日系人部隊がユダヤ人の強制収容所を解放した事実は1992年まで公表されませんでした。

この表・裏の無い日系人達のアメリカに対する忠誠は、日本とアメリカが戦争する前、日本の東条英機首相がアメリカの日系学校に贈った手紙にも現れています。

東条英機首相は日本とアメリカが次第に不穏な空気となる中、どちらに組するのか迷って議論が起こっていた日系学校の生徒たちへの手紙の中で、〈『日系二世は、アメリカ人である。』だから、あくまでも自国に忠誠を尽くして当然である〉との趣旨の手紙を送りました。

これは以前に442連隊が映画になった時に、開戦時日本語学校の生徒であった藤内稔氏という方が「日系人は祖國アメリカに尽くせ」と題して「東条英機総理が日本語学校の生徒に当てた手紙」を紹介したときの逸話でしたが、他にも海軍大将で、アメリカとの戦端が開かれようとした時の駐米大使だった、野村吉三郎も練習艦隊司令官だった遠洋航海時にサンフランシスコに立ち寄った際、現地の日系人から「万一日米が戦争になった時、我々はどうするべきか」という質問があがりました。質問者は当然日本に忠誠を尽くすべしとの答えを期待していたらしいですが、野村は「君たちはアメリカ国籍なのだから、立派なアメリカ人としてアメリカに忠誠を尽くせ。それが大和民族の正しい道というものだ」と答えたそうです。

こうした考え方、いかなる国の何系人であろうとも、生まれた国籍の祖国に忠誠を尽くすべきであり、日系人はアメリカで生まれたのだから、君たちが祖国アメリカに忠誠を尽くすのは至極当然のことであるとは、当時の日本軍人にほぼ共通した考え方だったようです。

実際には日系人の中でもどちらに組するかの対立で、強制収容所の中で流血事件も起こったそうですが、こうした「元」祖国の日本の精神は、日系人たちが多大な戦果で体現するに至りました。

欧州戦線での戦いを終えた後、第442連隊戦闘団はその活動期間と規模に比してアメリカ陸軍史上でもっとも多くの勲章を受けた部隊となり、特にその負傷者の多さから、名誉戦傷戦闘団(Purple Heart Battalion)とまで呼ばれ、戦闘団は総計で18,000近くの勲章や賞を受けました、つい最近でも、議会名誉黄金勲章というアメリカ合衆国で民間人に与えられる最高位の勲章が、2010年10月5日、オバマ大統領により第100歩兵大隊と第442連隊戦闘団の功績に対し、授与されました。

しかし戦後65年たって更に評価されるということは、近年に至るまで日系部隊に対する評価が抑えられていたということであり、日系人部隊の輝かしい活躍と目覚しい勲功とは裏腹に、戦後のアメリカ白人の日系人への人種差別に基づく偏見は変わることがなく、部隊の解散後、アメリカの故郷へ復員した兵士たちを待っていたのは「ジャップを許すな」、「ジャップおことわり」といった戦前と変わらぬアメリカ白人たちの冷たい言葉であり、アメリカの勝利に貢献した英雄であるにもかかわらず、復員兵たちは仕事につくこともできず財産や家も失われたままの状態に置かれました。

その後、世論が変化するのは、1960年代に公民権法が施行され、それまでの人種差別政策が是正されるまで待たなければなりませんでした。そして近年のオバマ大統領に至るまで徐々に評価が認められてきたのです(最近のニュースにダニエル・イノウエというアメリカ議員の話が出てきたことが有りましたがこの方は元442連隊員です)。

現在のアメリカ陸軍では、442連隊戦闘団の歴史を学ぶ授業は必修課程となっているそうです。

442連隊戦闘団の映画もあるそうで、まだ見ていませんが、是非見てみたい、渡辺謙さんが新しく映画を企画しているという話も有ります。是非実現してほしいものです。

 

以下参照

第442連隊戦闘団

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC442%E9%80%A3%E9%9A%8A%E6%88%A6%E9%97%98%E5%9B%A3

【海外】米軍日系人部隊に「議会金メダル」

http://gogono.net/archives/51913119.html

東条英機首相の手紙「日系2世は祖国アメリカに忠誠を尽くせ!

http://blog.zaq.ne.jp/michimoto/article/92/

野村吉三郎

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E6%9D%91%E5%90%89%E4%B8%89%E9%83%8E

Go For Broke - 米国陸軍日系2世部隊442連隊

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ssbohe/one_goforbroke.htm

プライベート・ライアン

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3

■ホノルル空港、イノウエ空港に改名 日系人議員にちなみ

(朝日新聞デジタル - 05月02日 20:38)